山車パレード
概要
伝統と格式がある豪華絢爛な山車が練り歩きます。那珂湊の昼夜を鮮やかに彩ります。

内容
山車パレード | |
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時間 | 17時~20時 |
内容 | 伝統と格式がある豪華絢爛な山車が練り歩きます。 那珂湊の昼夜を鮮やかに彩ります。 |
セレモニー | 出発式:17時15分~50分(五丁目交差点) |
「もみ合い」コンテスト | 山車の「もみ合い」コンテストの優勝山車は厳正な審査の結果「釈迦町」様となりました |
巡行予定山車
300年の時を越えて受け継がれた祭りの華。日本伝統工芸の粋を極めた豪華絢爛な山車。敬称略順不同(2018年6月13日現在)

釈迦町
現在釈迦町が所有する屋台は、平成8年に築造され四代目となる。屋台の前頭部及び側面には栃木県鹿沼市の屋台を参考とした彫刻が施されており、昇り龍や下り龍など4頭の龍が飾られているのが特徴である。また、屋根の箱棟には三州陶器瓦が使用されており、いずれも町内有志による寄付金を充当している。築造計画から毎年町内住民の寄付を積み立て、総工費は約3千万円を要している。屋根の上部(舞台)は360度回転ができ、門付けの際の回転は容易にできる。車輪は鉄製のホイールでタイヤは重量にも耐えられるようウレタンを使用している。屋台の操縦はハンドルで操作し、屋台中央部には屋台全体を回転させるジャッキが装着されており、狭隘な道路での方向転換が可能となっている。全長(花棒を除く)5.0m、全幅3.18m、高さ4.65mで総重量は約4トンにも上る。

和田町
和田町は、御神体が流れ着いた八朔祭発祥の地として、御神輿渡御を司る役目を伝統的に引継いできました。それ故に屋台も発祥当初から所有していませんでした。しかし、昭和40年代頃から町内に「うちの子にも屋台を」という気運が高まり、有志の若者達により何度か近隣や年番町から借用してきた屋台で運行したことがありました。そのような悲願の中、平成15年7月に町民各戸の寄付により完成したのが、町内待望の和田町の屋台です。

泉町
泉町の山車は、明治時代に造られ100年以上の年月を八朔祭りの神の依り代として、町を守り続けてきた。平成20年、先代山車の老朽化に伴い、新たに築造され現在もその役目を引き継いでいる。泉町の山車の荘厳さを象徴するのが、正面の唐破風の稜線を背にした雌雄一対の龍の彫刻である。この彫刻には、町内と住民達の安寧を願う先人達の熱い想いが込められている。「龍の雲を得る如し」と言うように、重厚で荘麗な山車の廻り舞台に芸妓の威勢のいい囃子が響き始めると、生命が吹き込まれ山車が動き出すのである。今年も間もなくその時がやってくる。

壱町目
壱町目の屋台は2011年(平成23年)に完成しました。湊八朔祭り参加屋台の中でも1番目に新しい屋台です。製作中、東日本大震災で津波の被害に会い、屋台半分が海水につかり部材の一部がながされてしまいました。そんな中でも我々小さい町内ですが、一丸となり屋台の完成にこぎつけました。壱町目の屋台は鬼板、柱に獅子、懸魚(げぎょ:屋根中間の彫刻)には麒麟の彫刻が特徴です。屋台自体に派手さは無いですが、夜は全体的にスポットライトでお囃子さんや花棒、彫刻を明るく際立たせています。

七町目
橿原神宮が鎮座する七町目は「若衆頭」「小頭會」「富士子供会」を中心に個性あふれる面々で、楽しく元気に祭りを行っています。湊で一、二を争う長い綱で今では数少ないハンドルのない重い山車を愉快活発な様で曳き歩きます。美人揃いの㐂和屋さんのお囃子に合わせて、赤ちゃんからお年寄りまで参加し、全員で声を出し、跳ね、舞い、声が出なくなるまで盛り上がり、益々意気盛んで明るい町内です。

元町 弥勒
「元町みろく」は、江戸時代より300年以上続く天満宮祭礼に供奉する町印行列の最期を掌る風流物です。白い顔の住吉様、青い顔の春日様、赤い顔の鹿島様の三体のみろくで、日本神話の「天の岩戸」を題材とする祝い事を表現しているのだと伝えられています。子供から大人まで皆でこの伝統ある風流物のお囃子や振りを各所で披露し、練り歩きます。
ひたちなか市指定無形民俗文化財(昭和55年11月26日)
記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財(国選択)(昭和55年12月12日)