山車巡行
DASHI PARADE
概要
時間 | 17時(出発式)~20時 |
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内容 | 鎌倉時代以来700年以上の伝統を持ち、江戸時代初期に現在の形になってから400年の時を越えて受け継がれている祭りの華。伝統ある格式高い日本伝統工芸の粋を極めた豪華絢爛な山車が練り歩き那珂湊の夜を鮮やかに彩ります。屋台(龍之口町・釈迦町・泉町・和田町・七町目・殿山町・牛久保町・壱町目(市民山車))・みろく(元町)・ささら(六町目)の計10台が巡行予定※順不同。また、19時15分より各町の屋台で一斉に撒き物が開始されます。どんなものが撒かれるかはぜひご期待ください。 |
屋台
屋台(龍之口町)
わが町「龍之口町」は、那珂川に架かる海門橋の両側に位置し、前に那珂川、後ろに湊公園があり昔は官公庁が置かれた歴史ある町です。1994年ひたちなか市発足により「海門町」となりました。神幸祭・還幸祭行列のルートにあたり、屋台運航を担う若連も団結力が強く楽しく祭りを行っています。
現在の龍之口町の屋台は平成11年(1999年)7月18日に竣工、お披露目されました。2011年の東日本大震災の時は、液状化により家が傾き、津波による床上浸水等甚大な被害を受けましたが被害を乗り越え頑張っています。
屋台
屋台(釈迦町)
現在釈迦町が所有する屋台は、平成8年に築造され四代目となる。屋台の前頭部及び側面には栃木県鹿沼市の屋台を参考とした彫刻が施されており、昇り龍や下り龍など4頭の龍が飾られているのが特徴である。また、屋根の箱棟には三州陶器瓦が使用されており、いずれも町内有志による寄付金を充当している。
築造計画から毎年町内住民の寄付を積み立て、総工費は約3千万円を要している。屋根の上部(舞台)は360度回転ができ、門付けの際の回転は容易にできる。車輪は鉄製のホイールでタイヤは重量にも耐えられるようウレタンを使用している。屋台の操縦はハンドルで操作し、屋台中央部には屋台全体を回転させるジャッキが装着されており、狭隘な道路での方向転換が可能となっている。
全長(花棒を除く)5.0m、全幅3.18m、高さ4.65mで総重量は約4トンにも上る。
屋台
屋台(泉町)
泉町の山車は、明治時代に造られ100年以上の年月を八朔祭りの神の依り代として、町を守り続けてきた。平成20年、先代山車の老朽化に伴い、新たに築造され現在もその役目を引き継いでいる。
泉町の山車の荘厳さを象徴するのが、正面の唐破風の稜線を背にした雌雄一対の龍の彫刻である。この彫刻には、町内と住民達の安寧を願う先人達の熱い想いが込められている。「龍の雲を得る如し」と言うように、重厚で荘麗な山車の廻り舞台に芸妓の威勢のいい囃子が響き始めると、生命が吹き込まれ山車が動き出すのである。今年も間もなくその時がやってくる。
屋台
屋台(和田町)
和田町は、御神体が流れ着いた八朔祭発祥の地として、御神輿渡御を司る役目を伝統的に引継いできました。それ故に屋台も発祥当初から所有していませんでした。しかし、昭和40年代頃から町内に「うちの子にも屋台を」という気運が高まり、有志の若者達により何度か近隣や年番町から借用してきた屋台で運行したことがありました。
そのような悲願の中、平成15年7月に町民各戸の寄付により完成したのが、町内待望の和田町の屋台です。
屋台
屋台(七町目)
橿原神宮が鎮座する七町目は「若衆頭」「小頭會」「富士子供会」を中心に個性あふれる面々で、楽しく元気に祭りを行っています。湊で一、二を争う長い綱で今では数少ないハンドルのない重い山車を愉快活発な様で曳き歩きます。
美人揃いの㐂和屋さんのお囃子に合わせて、赤ちゃんからお年寄りまで参加し、全員で声を出し、跳ね、舞い、声が出なくなるまで盛り上がり、益々意気盛んで明るい町内です。
屋台
屋台(殿山町)
殿山町は、湊地区の北端に位置し、町内の住民は少なかったが、先輩達の八朔祭りに対する思いは熱く、当時は、自前の屋台が無かったため、隣りの大洗町から屋台を借りて参加していたそうです。その後、昭和59年に念願の屋台が完成しました。殿山町の屋台は、他の町内と異なって、唯一町内の女子達が屋台の上で太鼓を叩いて、お囃子を奏でるのが特徴になっています。
本祭が執行される年は、5月から8月までの3ヶ月間、太鼓や踊りを一生懸命に練習し、可愛い姿を披露してくれます。皆さん、心から楽しめて感動しますよ!
屋台
屋台(牛久保町)
天満宮御祭禮は、元禄年間から町の繁栄を願い現在まで引き継がれている歴史と伝統と格式のある祭りです。牛久保町は、名所「姥の懐」近くの海岸に接しており、かつては漁港(牛久保港)を有する漁師町でした。そのような浜の気質が引き継がれ活気があり、団結力(横のつながり)を大切にする町内です。時代の流れで少子高齢化は進んでいるものの老若男女、こぞって活気ある「みなと八朔祭り」にかける想いは、那珂湊一だと自負しています。
昭和62年に老朽化したため、新しい「屋台」建築のため実行委員会を設置しました。昭和63年10月から事業を始め、5年がかりで屋台(材料は堅固な青森ヒバを使用し、高さ5.6m、花棒含む幅2.8m、奥行き8.5m)に係る全ての事業を完成させ、先人達の伝統と品位を感じさせる牛久保町自慢のものとなりました。以来、牛久保町若連親睦会の管理のもとに29年間、町内の大切な財産として現在まで引き継がれています。
■設計者 清水金太郎(七町目)■建築 黒沢建設(牛久保町)棟梁 黒澤次男■塗師 横須賀省三(牛久保町)■電気 小室安(牛久保町)■建具 馬場先貞之(殿山町)■鉄骨 宮尾勝美(殿山町)■装飾 小堀養(牛久保町)
屋台(市民山車)
屋台(壱町目)
壱町目の屋台は2011年(平成23年)に完成しました。湊八朔祭り参加屋台の中でも1番目に新しい屋台です。製作中、東日本大震災で津波の被害に会い、屋台半分が海水につかり部材の一部がながされてしまいました。そんな中でも我々小さい町内ですが、一丸となり屋台の完成にこぎつけました。
壱町目の屋台は鬼板、柱に獅子、懸魚(げぎょ:屋根中間の彫刻)には麒麟の彫刻が特徴です。屋台自体に派手さは無いですが、夜は全体的にスポットライトでお囃子さんや花棒、彫刻を明るく際立たせています。
みろく
みろく(元町)
「元町みろく(弥勒)」は、江戸時代より300年以上続く天満宮祭礼に供奉する町印行列の最期を掌る風流物です。白い顔の住吉様、青い顔の春日様、赤い顔の鹿島様の三体のみろくで、日本神話の「天の岩戸」を題材とする祝い事を表現しているのだと伝えられています。
子供から大人まで皆でこの伝統ある風流物のお囃子や振りを各所で披露し、練り歩きます。
≪ひたちなか市指定無形民俗文化財(昭和55年11月26日)/記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財(国選択)(昭和55年12月12日)≫
ささら
ささら(六町目)
六町目ささらの由来
起源は不明、言い伝えによると全国を行脚してきた六部(修行者)が病に倒れ、六町目の入屋の主人が手厚く看病し全快した。六部はそのお礼に全国の神社のお札で獅子頭を作った。それが今日に残っていると言われています。
獅子の演舞と八朔祭での役割
獅子は雄・雌・子の一人立ち三匹獅子で「棒ささら」とも呼ばれており、底なし屋台の中で一頭ずつ三者三様に囃子に合わせて勇壮かつ優美に演じられます。天満宮の八朔祭では御神輿の露払いとして供奉しています。ぜひ、獅子の演舞をご覧ください。